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14日は九州は台風一過、写真中央の山に登ってから(山歩きは後で山のHPへ纏める予定です)小さな船で天草へ。
有明海を出た船は東シナ海を通って不知火海の港に着く、たった一時間で三つの海の制覇。台風の余波でまだ外海にはうねりが残って、点々と続く小さな島や天草五橋を眺めていると波しぶきでじっとり濡れてくる。それでも前夜までの台風情報では高波注意報で真っ赤な九州ぐるりの海の中ではダントツに波高が低く、唯一黄色で表示されていた。水路が中心だった時代には安定した海路としてこのあたりはけっこう豊かな場所だったのではないか。
数回、イルカが跳ねるのを見て喜んでいたらあれはスナメリだと教わった。イルカはもう少し大きいと言うのだがあたしに違いが判るほど近くでは跳ねてくれない。

いちおう地図も見てたはずなのに天草下島を小豆島くらいと思っていたのはどういうわけだろう。淡路島とさして変らぬ大きさ、一番に見たかった日本に持ち込まれた最古の印刷機械のある施設は連休明けの火曜日でお休み、鉄幹が若かった白秋や勇などと五人で歩いた山道などもちろん歩いている時間はない。結局運転手さんと相談して島の四分の一ほどを回ってもらう。
この方、指で割いて食べる小鰯の話などで意気投合したのだけど、天草四郎は美少年でなければならないというあたしの説は軽くいなして、その島原・天草の乱の直接の原因だった重税を、命をかけて半減した江戸初期の代官鈴木重成の名をつい近頃のひとのように口にされるのがとても面白かった。
このお代官は神さまになっていて島には鈴木神社が鎮座しとても崇敬されている。

あの乱は禁教に対する抵抗運動というより税に対する一揆で、キリシタンだけでなくたくさんのお百姓(これは当然農民だけではない)が加わったわけで、けれども局所で勝てても勝ち続けることはできない質の戦いだった。もちろんそれも覚悟の上だったろう。
お互い含めて今の人間は軟弱で大人しいよねえ、なんて再び寂しい意見一致。

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崎津天主堂は軒の低い瓦屋根の民家に溶け込んで独特の景観をもっている。細い曲がりくねった小路の間に少しも押しつけがましくなく、前半分がグレーの石造り、後半分が白い木造なのも、中はほとんど畳敷きなのも珍しい。明治五年のキリスト教解禁以来幾度か建て直されているとかで、地元の信者さんが毎日礼拝に来てさっぱりと綺麗に管理されている。
禁教時代は庄屋さんの家があり、ここでは厳しい踏絵も行われたし、幕府海軍の練習艦に乗って海舟もやって来た場所だという。今回の旅のお供には「氷川清話」があって思いがけなく海舟の名が出てきて嬉しかった(どういう感情回路なのか?)。
海村のせいか野良猫がしごくのんびりあちこちに屯しているのも楽しい。猫を構いながら運転手さんと杉もちという素朴なおやつをいただく。

天草市では島々の自然とこの天主堂のある風景を世界遺産に申請しているそうで、熱望している方たちも多いが同じくらいそれがいいのか疑問を抱く方々もいて、けれどもどちらもこの景観に誇りを持っていらっしゃる。
いい場所だった。

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その後大江天主堂【写真左:天主堂としてはこちらがメジャーだろう。丘の上に真っ白な美しい姿で建つ。崎津のものより広々としていて、装飾豊かなオルガンと侍姿の彫像が印象的だった】、磁器の窯元【天草は白磁の土が豊富でたくさんの窯元がある。どこもそれぞれ独自の意匠と方法で焼いている。お寄りしたところは昔の庄屋さんで立派な日本家屋の離れには鉄幹・晶子がお子さんを連れて滞在したときの写真や晶子自筆の色紙があった。鉄幹、天草がよほど好きだったのか。ここの海藻をモチーフにした食器が気に入ったけれど結局茶器をひとつだけ】、妙見浦【ここに限らず海の侵蝕の作る景色は不思議だ。水を飲む象に見える岩があった。あと百年経てばどんな形になるのか。予想もつかないし見ることもできないが】、歩きたかった五足の道の入口【少しだけ山道へ入ってみた。五人が歩いたときは途中で迷ってずいぶん時間がかかったらしい。舟で富岡港に着いて崎津まで30数キロ、昔のひとはよく歩いた。時間があれば富岡の城址も見ておきたかった】など回っていただく。

西海岸の入り日は絶景だそうでどうして天草で一泊を考えなかったのかと苛められる(ごめんよ〜、小ちゃな島だと思ってたんだよ〜)。夕陽だけではなく、地元のひとも余り知らない山中の禁教時代の崇拝所や、山道を歩くことそのものが天主堂のような場所も運転手さんはご存知だそうで、次は必ずと約束したけれど果して守れるかどうか。
豊臣の時代、天正遣欧使節団の少年たちが持ち帰ったグーテンベルグ印刷機械も心残りで、できることならもう一度訪れたいものだけれど。

写真右は本渡の町中にある江戸時代の石橋。四十余本ある橋桁は潮の流れに対してそれぞれ微妙に角度を変えて造られており、あたしたちの国の技術の濃やかさはたいしたものだ。
島原・天草の乱のときはこのあたりは激戦場で、敵味方双方の血で川は深紅になったという。

帰りは本渡からバスで五橋を渡って熊本市街まで。
途中、ゆっくり染まっていく空に、有明海の向こう細い噴煙を上げる雲仙がだんだんシルエットになるのが旅情をかき立てる。
とっぷりと暮れてから熊本帰着。

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