06

1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
□  1227
            IMG_3944.jpg

旅枕という言葉が好きだ。言葉だけではなく、長い旅の見知らぬ夜を仮寝する心許なさが好きだ。大きく構えて言えば人生とはそんなものだと思っているし、そんな大仰なことではなく旅先の風景やひとに自分のこころが震えたり驚いたりする小さな機微が好ましい。うんと余裕があればずっと旅していたいと思う。
残念ながらさほど余裕を持たないので今回の熊本行があたしの旅の最後かもしれない。

写真が結婚前の本籍地あたり。一度ここに立ちたかった。
もちろん六十余年前とは全く様相は変っているはずだし、実際に生まれたのがここらの病院だったのかそれとももっと奥の湖のそばだったのか今ひとつ定かではないのだけど、小学校の前の住宅地なのに荒れた空地に貧相なコスモスが揺れ、窓にバッテンのテープを貼ったもう誰も住んでいない古びたアパートがあって、なんだかとても自分に似つかわしいような気分で暫く界隈を歩き回った。
父の、いや祖父の代から生まれた場所に定着しない一族なのでこの地の記憶はほとんどなく、若い頃は書類上の場所としてしか認識していなかったのにそれなりに感慨深くなるなんていよいよヤキが回ったらしい。

大型の台風が近づいている日曜日に降り立った熊本駅はお定まりの近代的な駅で、駅周辺より少し離れたお城あたりが市の中心地。広い駅前の通りを色とりどりの市電が走るのが地方色だろう。まずは駅そばの図書館で昭和20年代の熊本を種々の本で調べてみる。
もう30年代に入ろうという時期の満州からの引揚列車の写真があり、溢れるばかりに薄汚れた男たちが列車に取りすがっている。父は戦後暫くシベリアに抑留されていたので、この写真よりは早いときではあるけれど同じように痩せた身体で蒸気機関の列車にしがみついて熊本へやって来たのだろう。母の一家とはその途上で知り合ったと聞いていて、熊本にはそういう引揚者のために旧陸軍の施設が住宅として用意されていたらしい。
祖母は祖父と一緒に終戦前夜に大慌てで日本に戻っていて多分その頃は福岡で暮らしていたはずで、なぜ父が真直ぐそちらへ行かなかったのかはもう聞く術はない。

 IMG_3621.jpg  IMG_3820.jpg

今から見れば荒れた毎日の中で特に大きかったのが昭和28年の6.26。記録的な豪雨で北九州全域のほとんどの河川が氾濫する。熊本では白川が何箇所でも溢れ市内のほとんどが水没し、どの資料にも水から屋根だけ突き出す家々や流れてゆく家屋、壊れる橋、その後の復旧作業にたくさんの頁を費やしているし、乗るタクシーの運転手さんたち全員「昔の水害」と言えば老若問わず「あ、6.26ね」と即座に応えてくれる。
あたしのとても古い記憶に、階段から下を覗き込むと水が踊場より上に暗く光りながら溜ってゆく、畳が浮かんで簞笥がゆっくり水中に倒れていく、という場面があり、その後父に抱かれて屋根に上がった気がするのだけど、それがここでの出来事なのか同じ豪雨でやはり氾濫した博多の那珂川畔の出来事なのか、これももう確かめる術はないが二才の脳にもしっかり刻まれるような大災害だったのは間違いないだろう。
もっと詳しくなにもかも聞いておけばよかったと、父に対して最後まで親不孝な娘だったのを今さら後悔してもしかたがない。としても自分自身の始まり、ひいては親やその親などに長い間余りに無関心過ぎたと思う。

本籍地は地番で、該当する住居表示の番地を図書館では調べきれず結局連休明けに市役所に行く。
14階の展望ロビーからは市内全域が見え、ずっと熊本市は阿蘇山が見える火の国だと思い込んでいたのだがうっすらと外輪山の形が見えるだけ。白川や水前寺や江津湖・有明海のたっぷりとした水の国、緑濃いお城の町が若かった両親が日本での生活を始めあたしが生まれた町だった。もっとも親たちはその年の暮には離婚して、母の一家は東京へ出るのだから28年の水害は報道でしか知らないわけだ。

市役所の方々は親切で、大判の地図を繰りながら地番を調べてもらい同じあたりにずっと暮らしているという方も紹介していただいた。戦後の混乱期にたった二・三年ばかり住んだ引揚者などそれはそれはたくさんいて、大水害の後はみなどこかに散ってしまったとお聞きして、昔からある辻のお地蔵さまやお寺や神社、古樹など教えてもらい写真に収め、何を得心するわけでもないけれどまずは一段落のような不思議な気分のプロローグ。

 IMG_3629.jpg IMG_3949.jpg

     ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ/式子内親王

えへ、そんな柄じゃないのに古い雅な歌など。
途方もなく無意味な by   ねこさん  ( URL )
こんにちは。

タイトルは砂女さんの旅のことではもちろんないです。

「大きく構えて」とか「もっと余裕があ」ったらというところに、ピリピリと反応しているアンテナがあって、途方もなく無意味であるような旅こそがほんとうの自分探しの旅ではないのか、みたいなことを思ったわけです。

旅とは場所を訪ねるのも大切ですが、時間を訪ねることやその時間軸の上に遺した痕跡を訪ねるというか、掘り起こしに行く、またはそれを史料(資料)のうえで確認することも貴重ですよね。

架空のように伸びる時間軸を現実にからませて旅をして、遺すことも大いに大切と思って、わたしは断章的に自伝を書き始めました。ひとつひとつ踏みしめると強烈に襲ってくる手遅れ感のようなものがバシバシと心を痛めつけます。旅がこんなに辛いものであったか。

まさか、砂女さんの旅は、そんなノスタルジックなものでもなかったと思いますが、作文が少し、いつもよりも違って見えるのはわたしの間違いか。
(でも、そんなこと、どうだっていいのよね)

纏まりなきこと書いてすみません。

| 2014.10.22 |  [Edit] 
ねこさん by   砂女  ( URL )
こんばんは ^^。
文章、変ったかしら?余り自覚がないのは困ったものかもしれません。

わたしは物見遊山の旅より感傷旅行のタイプだと思います。どうしても外の世界より自分が大事で、ある時期それで色んなひとをひどく傷つけたし自分もそれなりに傷を負いました。
夫は私にとっては一種の治癒神で、ゆったりしたいい時間をくれましたがもうそれも望めないので自分でその役もしなければならない。旅はその手がかりみたいなものだと思っています。

手遅れ感、よく判ります。だって時間を遡ってるのですもの、どうしようもなさを追認するしかないような…。
わたしはその辛かった時期を自伝のような形ではなく虚構の中でうまく書きたいとずっと思ってきたし(まあ言葉にすればどんな形であれ虚構じみますが)、切れ切れには形にしてきたつもりなのですが、まだまだ満足なんかできないのでこれからも言葉に拘ってゆくのでしょう。

生育史も絡めず、ある種の病理学にも収斂しないような、そんな生をなんとか生ききりたいと切に願っています。
まあ私以外にとってはほんとに大いなる無意味ではありますけれど、それは全く問題ではありませぬ(笑)。
| 2014.10.22 |  [Edit] 
Comment From


















Template by coconuts
▽過去の記事

Designed by 石津 花

・Category
・Comment
・Link
・Profile

砂女

Author:砂女
日々是茫々


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。