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□  1248
 いくばくか残る女の部分からしみ出す愛に手指を浸す
                        (題詠2014:66 浸)

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物忘れが日に日にひどくなっているような気がする。
いやおまえさんは昔っからそんなもんだよ、と夫がいれば言いそうでもあるけど一日のうち何かを探してる時間が長くなってるんじゃないかと密かに落ち込む。

今日はばたばたと部屋を片付けているうちに眼鏡の行方が判らなくなった。彼がずっと使っていた老眼鏡で、いまあたしにちょうど、手元も見えるし遠くを見ても馴れのせいか不自由がなく重宝していたのに、いやそうやって掛けていることに不自由がなかったからこそどこで外したのか一向に見当たらない。
眼鏡、眼鏡、と横山やすし風に狭い住居のあちこち、心当たりは勿論まさかと思うような所まで幾度もひっくり返し、探さなきゃ出てくる法則に従って知らん顔をしてたりもしたのだけど、日暮れになっても見つからないのでとうとう夕陽の中近場のスーパーに買いに出る羽目に。
爪切りや耳かき、付箋の類いはこうやってきりなく増えてはきたものの眼鏡までそんなことになるとは思わなかった。いまやたいていのスーパーに簡易な安い老眼鏡があってありがたい。

形や度数を散々試して、これで帰ればひょっと見つけるのが世のならい、なんて思ってたがなぜか未だに現われず、新しい眼鏡はずいぶん軽くてくっきり見えてもいまいち本に集中できない。
こんなことが頻繁になり、そのうち居場所の判らない物が大きくなって、ついには自分の身体が見つからなくなったら一体どうしましょう。

なんて心配より、ほんとは二、三日後にどこで見つけることになるのかちょっと楽しみにしてもいるのだから我ながら能天気だよな。
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□  1240
 最前線○○県の○才の○田○男の最後の手淫
                    (題詠2014:57 県)

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防毒マスクをつけもんぺを穿いて走っている。明るいような薄暗いような白っぽい景色の中、周囲のかたちははっきりしないが道の先にひとが倒れていて、重たい足を動かしながらなんとか近づこうとしている。”姉ちゃん”と大きく叫んで、その声を出している気分のまま目が覚めた。喉が涸れきってぜいぜいする。

あたしは防毒マスクなど実際に見たこともないし、婆あといえどももんぺを穿いてた年代よりは遥かに若いし、第一姉など持ったこともなければ欲しいと思ったこともない。
なのにマスクのゴムの匂いやごわつく木綿のもんぺの肌触りがいやにリアルで、そのひとに早く駆け寄らねばという切迫感や、もしそばに行けてももう遅いのだという絶望の思いが夢とは思えないほど胸に痛くて、これは一体誰が見ている夢なのだろうかと、覚めて暫く息を切らせていた。
ホットカーペットにごろんと横になって昼寝なんかするからだ。

覚めてから思い出せば、両手には生きた子象を嵌めていてそやつらがぱおぱお鳴いていたような気がしてきて、こうやって書いてるうちに案外あれは性的な夢だったのかもしれないと思って少し赤面。

夢が実際の記憶だけでできているとは思わないけれど、今まで読んできた本にだって手袋のように子象を被るなんて話はなかったぞ、と改めてじっと手を見る。
あたしもそうだけど、石川啄木だってそんなに働いたひととは思えないけどね。
□  1236
 残照と呼ぶには未だ傷深し不意に途切れる愛のおハナシ
                      (題詠2014:54 照)

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おつきあいで入れてもらってる「赤旗」の日曜版。毎週楽しみにしているますむらひろしさんの「ひかりの素足」が今回いよいよ素足の登場。どんな風に描かれるのか、もちろん賢治の原作を知っているからその描写の仕方が待遠しかった。
登場人物はみな猫なのでやはり足もその持主も猫だった!
足はどうしても毛のある猫足を感じてしまって、まあ毛があっても素足には違いないのだけどあたしが原作を読んでイメージしていたものとは少し違ったが、持主の眼はイメージ以上の眼だった。
ここに来るまでの楢夫の可愛さ・無邪気さが極上だったのでその分悲しみも大きく、一郎の眼差しや耳の表情の繊細さも、発する言葉以上に豊かなものを伝えて、絵の力を感じる。

この後も非常に楽しみで、そんなことを知人と話して、配ってるくせに漫画はあんまり読みませんなんて言うのをしっかり諭してさしあげた、えへん。

あ、歌はこのお話ではなくあたしのおハナシ。
写真は残照ではなく日の出。外輪山に囲まれた町は普段目にすることのできない低い雲海に包まれる。

旅の間は規則正しく早起きだったのに帰ってくればすっかり自堕落になって夜は長い。
□  1231
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木曜早朝バスに乗る。九州は鉄道網とは別に景勝地を結ぶ長距離バスがたくさんあって、紅葉の始まった高千穂を通って延岡へ行くバスは平日なのに満員だ。
旅行地を後にするときの名残惜しさは毎度のことではあるけど、熊本市街を離れるのは常よりもうんと切なく、きっともう見ることがないだろう景色を窓に張りついて眺める。我ながら子どもっぽい。

高森で下車し、白川水源の水を味わい、根子岳の奇妙をつくづく眺め、阿蘇神社の門前町で美味しいコーヒーを飲む。このコーヒー店のマスターはいいタイミングで幾度もカップに注ぎ足してくださるのですっかり腰を落ち着けて長々と過ごす。ゆったりした時間が流れる宮地の町はどなたも親切で話好きで、神官さんも含めてみな親戚のおじさんみたいでもうここの子になってもいいような気分。
阿蘇神社でもお守りを買ってしまって、水神と火神では喧嘩しないかしら。

観光お決まりの大観望への、外輪山の稜線を走るミルクロードは雄大な景色が続き思わず歓声を上げる。
阿蘇山・九重山・祖母山と三つの百名山が一望でき、朝夕は雲海を眺められるそうで、ああここの牛になってもいいようだよ。

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左が大観望から見る阿蘇山五峰。この日は風があって中岳と高岳は時々噴煙に包まれ、そういう日は匂いが凄くて登山なんかできないそうな。7月頃から火山活動が活発になっているのでロープウェイは休止中で風の有無に関わらず火口には近寄れない。
右は翌日巡った小さな頂の途中から見る火口。金曜日は静かで噴煙は真直ぐに上がり、実に眺めが良かった。

下は大カルデラの内側にある温泉の露天風呂から見る朝焼け。
夜中はここで流れ星を見ていた。

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   赤月は一夜の宴夢に酔ひ今朝は小雨の涙散らして
   いまここに降る阿蘇の雨我のなき遠き時間の地表を流る
□  1230
 この町に川は溢れて藍深くかちりと嵌る記憶のピース
                     (題詠2014:53 藍)

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上の写真が江津湖。このあたりの古い町の名「健軍」は微かに聞き覚えがあるのだ。

熊本市の水道水は100%が地下水である。あたしの住む場所も利根川の支流の支流、上流に人家が少ないので水は美味しいと思っているが、やはり流れる水を浄水したものと地下水とは全く違う。ホテルの、(多分)貯水槽に一度溜っただろう水も柔らかで美味しかった。
阿蘇山に降った雨が六十年ほどかけて市内に涌き出すと聞いて、おお、では街のあちこちにある湧水はあたしが生まれた頃に降ったものではないか、そんな時期にここに来ることになったのも何か特別の縁を感じて(これも年とった証拠 ;_;)水前寺公園にある出水神社を我が産土と決めてお守りの勾玉を買った。
まあ今さらお守りが必要かどうかは少し疑問ではあるけれど。

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左が整えられた山水の水前寺公園、右が江津湖まで続く川辺。どれも政令都市の住宅街の真中にある。

水前寺公園は昔ほどひとが来なくなって寂れたと地元の方は仰るが、ここから川沿いに江津湖まで歩く道はとてもいい。遊歩道として整備されている舗装道の少し外側の土の道は足裏に快く、緑濃い茂みのあちこちから水が涌き出し、芭蕉の原生林を抜け、護岸の内側の本来の水辺で寝転んで鴨の夫婦や真っ白な鷺の姿を愛で、ひとを少しも厭わない蝶が花蜜を吸うのを眺めて時間を忘れる。
水は透き通って光を跳ね返し、緩やかに川藻がそよぐ。風は微風、とても静かだ。

最近衝撃を受けた佐々木六戈という方の歌・句集の末尾に、ここを歩いたことが書かれていたのを読んだばかりなのも自分の中では因縁めいて、細い糸が張り巡らされた大きな綾の中にいるような気になるのが可笑しい。あたし別に運命論者じゃないはずなのに。
けれども、その糸が風に触れて微かに鳴るようなそんな言葉を紡いでみたいと切に。

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この日の午前中は熊本城を歩いていた。
驚くことにこのお城現在も築城の真最中。昔のままの姿目指して100年計画だかの未だ半分で、出来上がったら独立戦争ですね、なんて物騒な冗談を言ってみたくなる。じっくり歩くと半日なんかじゃとても済まない広さで敷地の入口から天守閣のそばまで無料シャトルバスが走る(あたしは使わなかった、えへん)。

右の写真は天守閣への地下道を歩いてた戦国武将らしき若きおふたりで(片っぽは加藤清正、もう片っぽは細川幽斎の子孫あたりか)、ほかにも忍者の方やら武蔵っぽい方なども歩き回り、修学旅行か遠足かの女子高校生なんかと気軽にポーズを取って写真に収まってくれる。アルバイトじゃなく、市の公務員として待遇されているなら面白いのに。地方都市はどこもかしこも若いひとに仕事がなくて嘆いているのだから。
 
熊本は昭和の初めころまでは九州の最大の都市だったと聞く。熊本鎮台があった関係でそのまま熊本連隊があり、国の出先機関や学校も集まっていたそうな。そのうち交易港だった博多に抜かれてしまったとベンチで隣り合ったお年寄りはちょっと口惜しそうだった。

代継橋から見る白川。奥が海。左岸が生まれた町だ。
いまは静かに流れて、ほんとに熊本市は水の都市だとしみじみ思う。
いい街だった。

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□  1229
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14日は九州は台風一過、写真中央の山に登ってから(山歩きは後で山のHPへ纏める予定です)小さな船で天草へ。
有明海を出た船は東シナ海を通って不知火海の港に着く、たった一時間で三つの海の制覇。台風の余波でまだ外海にはうねりが残って、点々と続く小さな島や天草五橋を眺めていると波しぶきでじっとり濡れてくる。それでも前夜までの台風情報では高波注意報で真っ赤な九州ぐるりの海の中ではダントツに波高が低く、唯一黄色で表示されていた。水路が中心だった時代には安定した海路としてこのあたりはけっこう豊かな場所だったのではないか。
数回、イルカが跳ねるのを見て喜んでいたらあれはスナメリだと教わった。イルカはもう少し大きいと言うのだがあたしに違いが判るほど近くでは跳ねてくれない。

いちおう地図も見てたはずなのに天草下島を小豆島くらいと思っていたのはどういうわけだろう。淡路島とさして変らぬ大きさ、一番に見たかった日本に持ち込まれた最古の印刷機械のある施設は連休明けの火曜日でお休み、鉄幹が若かった白秋や勇などと五人で歩いた山道などもちろん歩いている時間はない。結局運転手さんと相談して島の四分の一ほどを回ってもらう。
この方、指で割いて食べる小鰯の話などで意気投合したのだけど、天草四郎は美少年でなければならないというあたしの説は軽くいなして、その島原・天草の乱の直接の原因だった重税を、命をかけて半減した江戸初期の代官鈴木重成の名をつい近頃のひとのように口にされるのがとても面白かった。
このお代官は神さまになっていて島には鈴木神社が鎮座しとても崇敬されている。

あの乱は禁教に対する抵抗運動というより税に対する一揆で、キリシタンだけでなくたくさんのお百姓(これは当然農民だけではない)が加わったわけで、けれども局所で勝てても勝ち続けることはできない質の戦いだった。もちろんそれも覚悟の上だったろう。
お互い含めて今の人間は軟弱で大人しいよねえ、なんて再び寂しい意見一致。

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崎津天主堂は軒の低い瓦屋根の民家に溶け込んで独特の景観をもっている。細い曲がりくねった小路の間に少しも押しつけがましくなく、前半分がグレーの石造り、後半分が白い木造なのも、中はほとんど畳敷きなのも珍しい。明治五年のキリスト教解禁以来幾度か建て直されているとかで、地元の信者さんが毎日礼拝に来てさっぱりと綺麗に管理されている。
禁教時代は庄屋さんの家があり、ここでは厳しい踏絵も行われたし、幕府海軍の練習艦に乗って海舟もやって来た場所だという。今回の旅のお供には「氷川清話」があって思いがけなく海舟の名が出てきて嬉しかった(どういう感情回路なのか?)。
海村のせいか野良猫がしごくのんびりあちこちに屯しているのも楽しい。猫を構いながら運転手さんと杉もちという素朴なおやつをいただく。

天草市では島々の自然とこの天主堂のある風景を世界遺産に申請しているそうで、熱望している方たちも多いが同じくらいそれがいいのか疑問を抱く方々もいて、けれどもどちらもこの景観に誇りを持っていらっしゃる。
いい場所だった。

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その後大江天主堂【写真左:天主堂としてはこちらがメジャーだろう。丘の上に真っ白な美しい姿で建つ。崎津のものより広々としていて、装飾豊かなオルガンと侍姿の彫像が印象的だった】、磁器の窯元【天草は白磁の土が豊富でたくさんの窯元がある。どこもそれぞれ独自の意匠と方法で焼いている。お寄りしたところは昔の庄屋さんで立派な日本家屋の離れには鉄幹・晶子がお子さんを連れて滞在したときの写真や晶子自筆の色紙があった。鉄幹、天草がよほど好きだったのか。ここの海藻をモチーフにした食器が気に入ったけれど結局茶器をひとつだけ】、妙見浦【ここに限らず海の侵蝕の作る景色は不思議だ。水を飲む象に見える岩があった。あと百年経てばどんな形になるのか。予想もつかないし見ることもできないが】、歩きたかった五足の道の入口【少しだけ山道へ入ってみた。五人が歩いたときは途中で迷ってずいぶん時間がかかったらしい。舟で富岡港に着いて崎津まで30数キロ、昔のひとはよく歩いた。時間があれば富岡の城址も見ておきたかった】など回っていただく。

西海岸の入り日は絶景だそうでどうして天草で一泊を考えなかったのかと苛められる(ごめんよ〜、小ちゃな島だと思ってたんだよ〜)。夕陽だけではなく、地元のひとも余り知らない山中の禁教時代の崇拝所や、山道を歩くことそのものが天主堂のような場所も運転手さんはご存知だそうで、次は必ずと約束したけれど果して守れるかどうか。
豊臣の時代、天正遣欧使節団の少年たちが持ち帰ったグーテンベルグ印刷機械も心残りで、できることならもう一度訪れたいものだけれど。

写真右は本渡の町中にある江戸時代の石橋。四十余本ある橋桁は潮の流れに対してそれぞれ微妙に角度を変えて造られており、あたしたちの国の技術の濃やかさはたいしたものだ。
島原・天草の乱のときはこのあたりは激戦場で、敵味方双方の血で川は深紅になったという。

帰りは本渡からバスで五橋を渡って熊本市街まで。
途中、ゆっくり染まっていく空に、有明海の向こう細い噴煙を上げる雲仙がだんだんシルエットになるのが旅情をかき立てる。
とっぷりと暮れてから熊本帰着。

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□  1228
 戒めを破りし日よりおとうとを打って樹液にまみれて暮らす
                      (題詠2014:52 戒)

      映画1

熊本に着く前日は大阪で映画を観ていた。ギロチン社を主題にした映画で、どうせ東京で観ても一泊、行きがけの駄賃ってこんなときにぴったりの言葉じゃないかしら。
あたしは伊藤野枝フリークで、この映画では当然大杉栄虐殺が描かれているし予告編の若い役者さんたちも気になるし、あがた森魚がやる甘粕にも興味がある。昔観た東映オールキャスト(なんと過激な時代だったことよ!)の『日本暗殺秘録』の古田大次郎をちょっと思い出したりして懐かしい。

大阪は高校生までいたけれど九条は初めて降りる駅で、アーケード街の裏の暗い通りにある映画館はいかにもこんなクセのある映画に相応しい佇まい、こういう場所があるから都会はやはり魅力的なのだと思う。
まあこの町でもご多分に洩れず古くからの映画館は姿を消して、唯一残ったこのシネ・ヌーヴォの灯を消すまいと地元の方々が応援しているのだと聞いた。

描かれる大正のテロリストたちは若くて未熟で焦燥感に駆られて、きっと実際もこんな風であっただろうと思わせる。ただ演じる男の子たちの身体はすんなりと伸びやかで美しく、全く労働の癖がなくって、顔を煤で汚しても芯から汚れたようでもなく、髪もシャンプが匂うようで大正臭くなかった。その点、娼婦役の女の子たちの方が時代を超えたリアリティのある身体、いやほんとはもっと胴長だったか。あがた森魚は甘粕より昭和天皇に似ていた。
狂言廻しというか時代を貫く”幽霊”役の性の匂いの薄い女性と、年を重ねた橘宗一(野枝たちと一緒に殺された少年)がいまいち消化不良で、けれどもそれがないとかなり平板になったことは判る。
ラスト近くのどんがしゃしたワルシャワ労働歌が懐かしいやら、切ないやら。
”幽霊”はあたしの中にもいるのだった。

映画より、九条の町のかつて遊郭があったあたりに迷い込んで入った饂飩屋さんの老女ふたりがとても、とても印象的だった。たちまち仕立て上げるおハナシの、けれども余りに手垢がついたようなのが口惜しい。

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熊本でも台風直撃の月曜日、事前の大騒ぎよりは逸れて風が強いだけだったがお城も公園もお休みになって、映画を一本、ちょうど観てみたかった「太秦ライムライト」。かつて日本の映画界を担ってきたちゃんばら映画の、斬られ役の方々に焦点を当てた、こちらはきっちりした商業映画で作りに隙はない。

主演の福本清三さんの折り目正しさが実に好ましく、きっとこれは素なんだろうと思う。
年令相応の(70歳を超えているはず)肋の浮いた痩せた身体にくっきりと皺の深い風貌なのに、素振りや殺陣に入ってからの姿勢の美しさや腕の筋肉、仰向けざまに斬られてから倒れるまでの身のこなしの強靭さに見入ってしまう。長年鍛えられてきた身体のなんと美しいこと。
ホテルに戻って戯れに真似てみたけれど無謀だった。あたしの身体の情けないこと(泣)。

その殺陣に刺激されたわけでもないが、午後風が治まってから宮本武蔵が籠って「五輪書」を書いたという霊厳洞へ。この岩窟がある金峰山は火山だそうで、もし活動を再開したら眼下の熊本市街は大変だろうと御嶽山のことなどちらと思い浮かべる。

五百羅漢を過ぎて(武蔵の時代にはなかった)登る霊厳洞は意外に広く、今は木の床が張ってあるのでなかなか居心地がいい。現在でもたまに籠るひとがいるそうで、明りさえ用意すれば山中のキャンプよりずっと快適な気がする。もちろんあたしにそんな気はございませんが。

下のお寺には武蔵の自画像や絵、巌流島で使ったという木刀などがあって(レプリカだったかも)、う〜む、やはり歴史とは書かれたものだけの集積でできているのかもしれない。

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□  1220
 ちちははの骨に挟まれ亡き夫がセンターにゐて家とふ虚構
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八月お盆、九月お彼岸、その間に夫の月命日があって、一年で一番お墓に通うのがその季節。
このお寺は納骨は壷から出すやり方なので、お線香を焚き煙草に火をつけて手を合わせると石の下に重なる三人の骨をつい思い浮かべる。子どもを作らない夫婦だったので、義父が義母のためにお墓を建てるときにさして何も考えず半分出して、裏には朱で夫と義父の名を入れた。

漠然と、まず義父、その後があたしと思っていたから、○○家の墓 なんてのも単に形式と捉えていたのだけどこうやって残る者になってしまうと、親子三人仲良く固まっているのから疎外されてるような妙な気分になる。彼と一緒になったのも嫁に入るなんて形ではなく、桐生へ戻るときも同居なんか考えずこちらはこちらと互いに思っていたのになりゆきとは恐ろしい。
もっともそんなことを考えてしまうのは結婚して姓を変えた女だからかもしれない。

ときどき夫あるいは姑や舅とは別のお墓に入りたいという身の上相談なんかを見て、死んだ後なんてどうだっていいじゃないかと思っていたが、いざ自分の後がないと彼とは別にとは願わないがどうしたものかと考える。ご住職からは永代供養を勧められているのだけどそれもなんだか自分自身とはそぐわず、死というのは死者ではなく残る者の問題なのだとつくづくと。

八月九月は実に抹香臭い季節であることよ。
句も歌もそんなのばかりできてしまう。




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日々是茫々


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