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 飾り窓残るかつての繁華街若き黒猫子をひき連れて
                       (題詠2014:38 華)

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今年の早春に生まれた子だろうか最近うちの近くでよく見かける猫がいる。まだ痩せっぽちのすんなりした黒猫でけれども子猫というよりもう少し青臭い感じのする敏捷な身ごなしで開けっ放しの庭の向こうを過り、鼠鳴きして呼んでも振り返りもしない。野良猫ではなくちゃんと飼い主持ちの、自分の力にだんだん自信がついてきたちょっと生意気盛りの雰囲気が微笑ましい。

ときどき無性に猫が恋しくなって、でもそんなときにお誂え向きに猫が降ってくることはなく、散歩の途中で会う猫たちはみなさん自分の場所を持っていてあたしの猫撫で声に騙されてはくれない。近寄ってきてもお愛想だけで深い縁を求めてはくれず、あたしだってまさか猫攫いになるほど寂しくはない、そっと触れあって互いに匂いを嗅ぎあう大人の付き合いを続けている。

男のひともそうだが猫とも場所とも機縁というのはある。いくつかの深い機縁と淡い袖の触れ合いでこの世は回っているのだろう。だんだん淡く薄いものばかり残って、あとは自分の内部で始末をつけていくしかないのかもしれない。
写真は写真のサイトでお借りしたもの。庭の向こうの黒猫はとろいあたしが写真を撮るだけの時間をなかなか与えてはくれない。
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明後日土曜日は2/22の猫の日で、今朝のツイッターの季語は「春の猫」。
猫好きな夫と暮らして飼い猫の途切れることはほとんどなかったけど、拾ってすぐ死んでしまった猫以外はみんな避妊手術をしてうちで子猫が生まれることはなかった。

つい先月まだ若いのに亡くなった坂東真砂子さんが何年か前に、避妊手術はひとの傲慢ではないかと言って、そのうえに生まれた子猫は「抛り殺す」とつけ加えて物議を醸し、小説家としてよりそちらで有名になってしまったのはお気の毒だった。
そのエッセイが騒がれていた頃やはり夫も憮然とはしていたが、あたし達が子どもの頃は猫だけではなく犬も放し飼いの時代で、ふたりとも雌の捨て猫や捨て犬を拾って帰っては叱られた経験があり、ペットの避妊は一般的ではなかったから家でお産をした子猫や子犬の処置は親任せ、貰われて行った子も死んだ子も捨てられた子もあったのだから、外国で暮らしていたこの作家の、いくらか偽悪めくのは倫理の強さ故だと読んではいた。
強い倫理感が硬直していて、小説はいまひとつ突き抜けるところが少なくて余り面白いと思ったことはなかった。問題提起のつもりのエッセイに、作家なら当然思い浮かぶ読み手の反応をきっちり考えていないようなのも、その硬さのせいだったのかもしれない。

わが家の最初の猫は来たときから老嬢で季節が来ても恋猫らしい素振りは全くなかったが、その後の男猫たちは外出自由な飼い方を最初の三年間ほど続けていたので恋の季節は暫く帰って来ず、その後室内飼いに改めて手術を受けさせるまでけっこうご近所に迷惑をかけていたような気もする。恋をしに出て帰って来なくなった猫がいて、それがほんとに悲しくて残った男どもを手術をすると決めたとき、夫が少し切なそうだったのは同じ雄の痛みを感じていたのかもしれない。
あたしがそんなに気に病まなかったのはひとの傲慢なのか、雌の傲慢だったのか。長く生きてくれた最後の猫は女猫で、こちらを生後半年で避妊のために病院に連れて行くときはほんの少し気が咎めた。
あるがまま、なんて猫にもひとにもないのだよ、きみ、と言い聞かせたりはしなかったけど。

  若猫の恋もどかしく狂おしく
  恋の猫羯諦羯諦 波羅とは鳴けず
  血を流しやつれて男猫の恋
  恋猫が帰って来ずに陰の膳
  あっちこち煙を出して猫の恋
  叶えたら恋猫ただの猫となる
  もうこれでお止しになれば猫の恋
  二十年(はたとせ)を記憶積まずに生きるねこ子を産めぬねこ恋知らぬねこ

この四年ほどの駄句、駄歌だけど猫たち、ありがとう。そして本日の駄句

  いつまでも春知らぬまま断種猫
  身を揉んで外へ外へと春の猫 
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 ぼんやりとしていることがお仕事で
            たまに髭など撫でては過ごす

              (題詠2013:86 ぼんやり)

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迷い猫の話が舞い込む。
猫と暮らしたい気分が半分、気ままに旅したい気持ちが半分。
心が動く。
どなたか貰ってくれないかしら(避妊は迷い込まれた友人が負担してくださるらしい)
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 夏服の裏に残った猫の毛はベージュもうすぐ逝って一年
                      (題詠2013:33 夏)

           IMG_0566.jpg

俳人が山の帰りにわが家に寄って猫の匂いがしなくなったと言ったのは昨年の終わりだったのか、今年になってからだったろうか。
ここに越す前、いや夫と暮らし始めてから昨年まで家にはずっと猫がいたので、一日閉めた部屋に帰れば確かにいつも猫臭かった。それはもう当たり前のこととして慣れていたのに、俳人にそう言われるまでその匂いが消えたことには全く気づかず、改めて鼻をひくひくさせたのだった。

ここでは三年弱しか一緒に暮らさなかったのに猫の痕跡はあちこちに残っていて、柱の爪痕や、掃除機に挟まった猫砂や、カーペットにまだ残る毛。衣更えの度に洗濯済みとはいえセーターやTシャツには猫の毛がついていて、ガムテープでぺたぺた取るのはいた時と変わらない。
夜中、部屋のどこかで微かな音がするとついまだ寝ない猫を叱る気分になり、外食のときは猫の好物を持って帰る心もちで、いや、もう猫はいないのだと再確認してしまう。

何日か前の季題がごきぶりで、長くいた猫がまだうんと小さい頃、夕方仕事から帰ったら情けない声で鳴きながら片手をゴキブリホイホイに突っ込んで妙な音をさせて出迎えたことを思い出し、あれからわが家では粘着式ではない方法でごきぶり退治をするようになったのだ、などと思い出して少し笑ったりしんみりしたり。
もっともここに来たときは猫はすっかり年老いていて鼠の音も判らなかったのだから、貼り付いたまま蠢いているごきぶりのたてる音など全く気がつかなかったろうが。

猫の骨は家に持って帰らずそのまま処分してもらったのだが、夫の月命日にお墓に行くときは一緒にいる義父にはもちろんそこにはいない猫にもまとめて手を合わせ、その分のお線香にも火をつけることにしている。
写真はその墓地のそばの野原の露草。この花の青、とても好きだ。
□  901
 春昼の眩しき街ですれ違ふ
         猫の匂ひのする女(ひと)羨(とも)し


           猫








猫の夢を見る。
夫に抱かれていたり、あたしの腕の中にいたり、とても生意気なことを言ったり、心細そうに鳴いていたり、飛び跳ねていたり。
飼わないと決めているのに無性に猫が欲しくなって、でもあたしの猫とは出会えない。
ずっと猫のいる暮らしをしてもう一生分の猫との縁を使ってしまったのかとも思う。

川上澄生さんの猫の絵。
いまtwitterのアイコンに使わせていただいている。
こんな子が空から降ってこないかしら。
□  870
 小春日の寺町の坂従いてくるピアノの音はいつかの少女

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というわけで谷中のあちこちの道を猫を見つけては構いながら歩いていると、鬱蒼とした樹木を大きな塀が囲むお屋敷の門柱に素人の方が手書きしたと思われる「大名時計博物館」という看板を見つける。その傍らには勝山藩下屋敷の石碑。勝山藩というのはいくつかあり、これは美作、岡山の勝山藩のものであるらしい。小径をつたってその博物館の建物にお寄りしたのだけど、庭木が茂る奥には大きな石燈籠がちらと見え、まさか当時のままのお屋敷であるはずはないとしてもこれは凄い維持費がかかりそうなお宅。

学校の教室よりいくらか広い木張りの床の別棟の博物館はちょうど開館したばかりで、ぐるりの壁にはガラスケースに収まったたくさんの和時計が並ぶ。櫓の上に古い文字盤の時計がついていて、上は午、下が子。説明書きも看板と同じ几帳面な手書き文字で全く私設の、(たぶん)このお屋敷のご夫婦がおふたりでやっていらっしゃるのだとか。
江戸時代は不定時法でもちろん大名時計、時計の係のお侍がちゃんといるわけで、季節によって変わる午前と午後の長さを小さな分銅を動かして毎日細かに調整するのがお仕事、けれども労力は使うとしてもいまの定時法より合理的な気もする。

ちょうどご近所のやはり古い家柄の奥さんが終戦直後の進駐軍の接待について取材を受けてらして、そちらの話も面白く、最近読み終わったばかりの清朝が舞台の小説に出てきたお香の時計もあって、15分ごとに古い柱時計がたてる音もなんだか遠い時間を告げているような。不思議な、いつまでもいたいような空間だった。

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通りに出ればちょっと心そそる喫茶店がいくつも。
どこも猫があしらってあって、猫町、ここだけでなくいろんな場所で緩やかな時間が流れているはず。
□  869
 十月の花野明るし少年は手を取りあって骨になりゆく

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方向音痴で地図も読めないくせに歩く谷中。
東京で15年ほど暮らしていたのに一度も降りたことがなかった日暮里の駅から足まかせに歩きはじめ、霊園を抜けて坂を下る。

戦災を免れた地区で細い路地や古い建物が残り、寺院がたくさんある坂の一本裏へ入れば、懐かしいような佇まいがあちこち残り、今は 谷根千 といって谷中・根津・千駄木界隈は東京散歩の人気地らしく、マップ片手の団体さん何組かとすれ違い、あたしは谷中小学校を目指すはずなのだが、自分の歩いている道が果たしてそこへ行き着けるのやら自信がない。とはいえひとに聞くのもなんとなく口惜しく、前夜句会のついでに聞いたあれこれを思い出したり、出る前に確かめた地図の記憶を呼び出したり、静かな小春日和、のんびり猫などかまって呑気そうに歩いているふりはしていてもちらちら電柱の住所表記など確かめて、ようやく着く目的地。

小学校は運動会か文化祭が開かれているようで門前が飾られて父兄の出入りがあるのだが門はいちいちぴたりと閉ざされて、ああそんな時代なんだなあと、なんだか別の時間からやってきたような気分になる。
といってもあたしが用があるのは小学校ではなく、その近くのギャラリー猫町。句会の前夜ますむらひろしさんの原画展をやっているのを知って、もう猫は飼わないと決めているのでせめてもの猫気分を味わうために見に来たのだった。

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階段の上の普通の民家がそのギャラリー。
明日11日、日曜までの会期。
もうもう、あれもこれも全部欲しい、と叫ぶ子ども心をぐっと堪え(財布がそうせよと命令する)、ポストカードや手拭いやカレンダーなど可能な限り買い込んで、我が家はしばらくあちこちにヒデヨシがあの細い目で大きな顔をしていることになる。

谷中の猫はけっこうひと慣れして、すぐに身体をすり寄せてはごろごろと喉を鳴らし、みなさんみっちりと太っていた。
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 目を閉じて少し笑って猫逝けり


 身罷りゆく猫に夜伽の敗戦忌
 (敗けはいつでも生き残る側)
 息やはく平らかになる 雨激し
 (二十歳余りの名残は尽きず)
 やっぱりあたしの夢なのかと猫に云ふ
 (どちらのものでも同じと応ふ)

外が白み始める頃猫が息をしなくなった。
ほとんど苦しまず、ひと晩かけてだんだんに生命が抜けていくような静かな終わりだった。
21年と半年、長い付き合いで、あたしはそんなにいい飼主ではなかったけれど、猫にはずいぶん慰められた。
特に彼がいなくなってからのこの三年半、猫がいるからしっかりしなければと本気で思い、猫と縺れるように暮らしてきて、どんなに支えになってくれたことか。

 庭中の花をちぎって猫にやる
 (キャットグラスもえのころぐさも)
 この家の最後となりぬ少し泣く
 (独りとふくらいくらい自由)

斎場で色んな手続きをして荼毘にふし、家に帰り着けばついいつも通りにまず猫を呼んでしまう。
あかねという名前だった。
いま頃は夫の腕の中で久しぶりに甘えているのかもしれない。
あかね、ほんとうにありがとうございました。

 名を呼べばみぎゃと猫来る昨日まで




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Author:砂女
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