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□  1224
 スタンドの明滅激しわが母が死に給ひしか頻尿の夜
                   (題詠2014:50 頻)

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5年もtwitterをやっているとフォローしてる方もだんだん増えてきて、はじめの頃は丁寧に追っていたTLもいまではごく少しの方のものしかその呟きを追わなくなった。
その幾人かのおひとりが「夢酔独言」を面白がっていたのでつられて読む。書き手は勝小吉、維新の幕府側の立役者海舟の父。昔々のNHKの大河ドラマで松緑(今は二代目ってつけなきゃいけないのかも)が演っていて、お侍なのに意気のいいチンピラ親分がとても魅力的だった。話体の文章なので当然脳内ではちゃきちゃきの江戸弁でちょっとてっぷりした、顔の大きな歌舞伎役者が目をぐりぐりさせながら喋る。

貧乏御家人だと知ってはいたけれど実際の職を求めて生涯得られず、暮らしや就職活動に金策するのが実にお気の毒ではあるのだが、刀剣の売買やもめ事の仲裁やでちょいちょい手にする金高が意外に高額で驚くし、十代半ばの上方への家出旅もヤクザの漂泊のような乞食の徘徊のような虚無僧の修行のような、なんとも自由奔放なありさまに驚く。もちろんそんな出奔は帰れば長い押し込めで懲らしめられるのだけど、海舟はその間に生まれていてはて庭の檻への押し込めでどんな風に作ったのやら。
そういや大河ドラマでは海舟の母は久我美子がやってたんだっけ。

その時代では当たり前のことなのだろうが元の男谷家ではお妾さんの子どもで三男、六歳で勝家へ養子へ出てその家を継ぎ、それでも読んでいると大人になってからも男谷の兄たちや父親と交流していて、養家のことは刀自のことだけが出てくる。
家制度が崩れた現在から見るとなんだかいまいち親子間の感情が想像しにくくて、いい年をして相変わらず不在の母にときどき思いを致すあたしとしては江戸時代が羨ましいような気もするが、その時代の女じゃ今よりもっとつまらないか。

孫子の代に、おめえたちはこんなことをしちゃあいけねえぜと戒めとして書いたと言いながら、その楽しそうなこと、えへんぷいなところが微笑ましくって実に愛嬌がある。
こりゃそのうち息子の「氷川清話」も読まねばと思いつつまずは安吾の捕物帖など。
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□  1200
 夢にくる君があんまり優しくて
         ヤフーで買った悪役(ヒール)の仮面

               (題詠2014:43 ヤフー)

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ずっと積読だった「富士日記」上・中・下 武田百合子

ひとの日記、それも作家が後で読まれることを心して書くのではなく、夫人が毎年山荘へ出かけたときだけ心覚えにつけていたものを眠る前にぱらぱら数ページずつ読んで、まあ面白いといえば面白く、しかも昭和39年から51年、必ず記入される買物の価格や献立がなんといっても懐かしい。
そうだ煙草は40円だったっけと父のお使いで買いにいったことを思い出したり、卵とバナナが現在とさして変らぬ値段なのに改めて驚いたり、毎日の家庭料理の慎ましい献立に、まああたしんちはもっと婆くさいものだったけどそうそうそうと膝を打ったり。

独特の擬音の使い方が面白く、さすが作家の奥さん、地元のひとや空や通り過ぎる道、どれも生き生きとして、特に聞き書き部分の絶妙さには感心してしまう。泰淳の口述筆記をなさったそうで、耳から入る言葉への想像力・構成力は凄い。地元の、よく出入りする建築関係の方が賞を貰った俳句を披露する、その描写は細かなところまで目が行き届いて暖かく、そのおじさんがすぐそこで長い手を広げているような気分になって思わず泣いてしまった。
暫く就眠用の楽しみ。

写真はかつての悪役、銀髪鬼・フレッド・ブラッシー。こうやって噛みつくのである。
この日記より少し前、小学生のあたしが初めて見た”悪”のひとだった。まだテレビはモノクロで、それでもこの流血にショックを受けて何人ものご老人が心臓発作で亡くなった。
テレビも戦後日本もまだ純真さを残していたのかもしれない。
レスラーの奥さまはブラッシーがひと目惚れした日本女性。きっと家庭では穏やかなひとだったのではないかな。
素顔で、仮面はつけていなかった。
□  1196
 「世が世なら」尊王攘夷も知らないで
                 土を耕す男であらむ

                   (題詠2014:42 尊)

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ここ二ヶ月ばかり明治中期から昭和・戦前にかけての女性作家について書かれたものをまとめて再読。
瀬戸内晴美、林真理子、田辺聖子、桐野夏生、関川夏央etc.。若い頃読んだものが多いのだが歳をとるとまた違った読み方で、これは年令のせいというより社会的な変化の大きさのせいだろう。特に瀬戸内晴美のものは伊藤野枝にしろ田村俊子にしろ岡本かの子にしろご本人の作品より先に読み漁ったので、長い長い時を経てまた読むとその切り口がいかにもあの頃で、瀬戸内さんもまさかあんな生臭い尼さんになるとは思ってもみなかった。まあ余り人のことが言える生き方はしてないので小さな声で言っておくけど。

特に田村俊子の伝記など読むと下町の情緒を引きずっている、新しい女ではないなどと批判されたとあり、あるべき生き方を追求するのが文学の務め、西洋からの新たな思潮に敏感でなくてはならなくてああ近代ってのは面倒だったのだと改めて思うけれど、作品で作家の思想性まで云々されるのは実はそんなに遠い昔のことではなくて70年代半ばくらいまでは続いたのだろうか。
軽薄短小が愛でられるようになってから好みは別として随分小説は様変わりした。まああたしは今の作家のものはそんなに読んではいないけれど、もう高橋和己なんて読まれないのだろうなあ。

ようやく一段落したので趣向を変えて網野善彦の「日本の歴史をよみなおす」を。
特に文字についての第一章は面白い。既に江戸時代以前から、方言の日常会話が理解できなくても文書ならどの地方のものでもすんなり読める、というのは考えたら不思議なことだ。文字や貨幣が外からやってくる国は常になにかをなぞって外向きの顔を作ってきたのかもしれない。
あるいは漢字・ひらがな・カタカナの使い分けが時代によって激変するのはどういうわけなのか。あたしの親世代の教科書はカタカナ表記で始まってたはずで角のしっかりしたあの文字はなんだか不安を煽る気がする。祖母や父が持っていた社会規範の頑さはそのあたりにも原因はないのかしら、などと。

物語や小説はもうあまり面白く思えなくなってしまったのが悲しい。
□  1179
 酔ひ痴れてひとりで踊る真夜の宴夢の残骸重ねて崩す
                         (題詠2014:37 宴)

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ついこの間最後まで残ったピッケルをひとに差し上げて、というより処分し兼ねていたのを無理矢理押しつけて、これで山シャツ以外の夫の山道具はなくなった。暮らしの物も越して来たときとはいくらかずつ入れ替わって縮小し、彼のものはいよいよ少なくなった。

良い季節の里山しか歩かないので、軽いストックは手放せなくてもピッケルが必要になることは金輪際ないはずだけど、昔一度だけそのピッケルを使ったことがある。連休過ぎの常念岳の下りで、雪の斜面に取りかかる前に夫はあたしの手首にそれをくくり付け、いざというときの使い方を教えてくれた。
転倒したら素早く雪面に突き刺してブレーキにする、もしそのまま滑ったら足を開いて間に雪を掻き込む、だったと思うが、山を歩くのは彼とが初めてでまだ数えるくらいのあたしにそんな高等技術が使えるわけもなく、尻餅をついた格好で手首のピッケルと繋がったままかなりの距離を滑り落ちた。怪我がなかったのは少しは身体が柔軟な頃だったのと皮下脂肪のおかげだったと思う。
それ以後は春になっても雪の残るような高い山へは行かなくなり、二本のピッケルは引っ越しを重ねてもずっとその時々の物置にしまい込まれていた。

夫の好んだ深田久弥の「山頂の憩い」を本棚から取り出してぱらぱら拾い読みしていたらピッケルの項があり、ピッケル始め山道具を大切にしないひとに苦言を呈していた。何十年も物置に放り込んでいたとは、この本の文章をたまに引用して褒めていた彼にしてはひどい仕打ちではなかろうか。もっとも世評の高い「日本百名山」は腐していたのだから根っからの深田ファンというんじゃなかったのかもしれないし、作家の方もモノにだけ拘って飾っているような輩にも疑問符をつけていたので、捨てずに物置というのはちょうど良かったのかもしれない。

まああたしは深田久弥はどれもちゃんと読んだことはないし、あたし好みの文章でもないのでちっとも気にならず、引き取ってくださった方は山の達人、良いことをしたと思っている。
本の方はまだしばらくは本棚に残しておくつもりだけど、この後再び取り出すときが来るのだろうか。

(ずっとご高齢だと思っていた深田久弥が茅ヶ岳で亡くなったときが68歳だと知ってけっこうショックだった。昔のひとって早くから老人臭かったのだなあ、最初の奥さまの文章を読んでみたいなあ、などと)
□  1153
 こはいとこ見たくないから糊塗してる
               あたしの中の淋しい小人

                   (題詠2014:28 塗)

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皆川博子「総統の子ら」(上)(中)(下)
第二次大戦中のドイツの、真摯で無邪気で勇敢な青少年の、抗いようのない時代に呑み込まれてゆく切ない物語。
特に(中)のほとんどを占める戦闘のこれでもかという描写の、善悪、敵味方を超えての残虐さにへこたれながら、それでも一気に読ませる力。
「総統の子ら」も「自由を守る子ら」も「天皇の赤子ら」も「革命の子ら」もそれぞれ「正義」の論理を掲げて傷つき傷つけ、壊され壊し、殺され殺し、そうして勝者だけが正義になってしまう戦争というものがつくづく悲しく愚かしい。勿論勝者はそれぞれの「子ら」個人ではないし、そして多分それは負けた者にしか判らない理不尽で、しかも当然ながら負けた側に言葉はないのだ。
1930年、京城で生まれた女性作家が70歳にして渾身で書いた戦争論だと思って読んだ。

主人公のひとり、年長のヘルマンが見た「神」をわたしも知っている。
そこからもっと豊かな言葉を紡ぎ出すことは可能だろうか。
にんげんはいつか「国」という概念を捨て去ることができるのだろうか。
”ほんとうのほんとう”を知って戦争などしなくてもすむようになるのだろうか。

               ※
今日も上空はヘリが飛び、まだとなりの市へ広がった山火事は消えきっておらず、仙人ヶ岳へはしばらく立ち入れないそうだ。
半日、反対側のとなりの町の山里を歩いていた。
□  1139
 噴水は尽きて中央公園に長き尾を曵くあれはおほかみ
                      (題詠2014:20 央)

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いまさらながらに読む「古事記」「日本書紀」「出雲風土記」

もちろん原文など見ただけで目が滑る。ネットを始めアンチョコを仕入れて余り系統だてずにぱらぱらと気が向いたとこを読んで、何が加えられているのか、消されてるのか、あるいは全く変えられているのか、そのあたりを考えるのが面白い。
ギリシャ神話や旧約は子どもの頃からある程度馴染んでいるのに、北欧神話やインドの神々などはも少し大きくなって好んだのに、日本の神話は絵本になってるエピソードしか知らず、重複する別名の神などみんな別人(神)だと思っている。だいたい背伸びする子は基本的に外国が好きで、歌留多や百人一首よりトランプ・麻雀、日本昔話よりアンデルセンやグリム、そのくせこーーーんなに生きているのに異国語はちっとも判らず日本語も怪しいのはどうしたことか。

山を歩く知人に若い時代の教科書をやたら覚えているひとがいて、同じ長さの時間の使い方というのはもうほんとうに千差万別と、まあ少しは感心しながらも基本的に呆れてしまう。
いまだって読んだことを片っ端から忘れて同じところを同じように感じながら何度も読み返しているのだから、脳の働きがひたすら悪いのだろう。そして尚かつそれを余り恥じないという厚顔無恥。きっとあたしは長生きしてしまうんじゃないだろうか。やだ、やだ、やだ。

いつになったら読み終えるのか、何のつもりで読んでいるのかも定かではないのだけど、昔ほど遅くまで起きてもいないので、布団の中で漢字ばかりのよく似た神名を幾度も目で追っているうちにゆっくりとあたしの神話の夢の時間に滑り込んでいる今日この頃。

写真は本日沢のそばで見た菊咲一華の花。小さいのに実に華やか。
今年は寒かったからか、下では桜が咲こうかというのに少し高い場所ではまだ固い蕾のままの梅も。あたしの庭ではクロッカスが終ってヒヤシンスが開き始めたけれど、地植えのヒヤシンスときたらアポロンも風の神も愛しそうにない貧相さである。哀し。
□  1120
 言の葉を憎みて遊(すさ)ぶをみならの
                虚実の実の黯き口腔

                  (題詠2014:13 実)

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先日映画の上映待ちの時間がけっこう長くて久しぶりに本屋さんへ入った。一応県庁所在地のショッピングモール、大手の書店が入っていて、あてどなくうろうろして目につくものを捲るのも楽しい。今は手を出していない作家のものを何冊か買った。

 「百句燦々」塚本邦雄
 「幽界森娘異聞」笙野頼子

塚本のものは知らない俳人のがいくつもあって、何といっても塚本邦雄、その半ば強引な深読みと絢爛たる修辞でただ読むのも勿体ない。例によって一冊ノートを取りながらじわじわと、その合間に、こちらはまたいかにも笙野の、乱暴かつ混沌の森茉莉論、森茉莉は読んだことはないけれどきっと笙野本の方が面白いのではないか。あちらへ飛びこちらへ散る文章の、威勢がいいんだか心細いんだか、論じられる人物への愛と反発、実に読ませる。

偶然選んだ二冊、ふたりのもつ美意識や指向性は全く違うけれどどちらも書き手、読む行為に距離を取りつつ耽っていて面白い。俳句に限らず、言葉は読み手を持ってこそであり、それも単純な賞賛ばかりの読者ではなく、鋭い剣も持てば重たい棍棒も振り下ろしながら言葉を剥いていくその手つき、語られるのは対象とともに読み手=書き手そのものであと幾日かは楽しめそう。

特に「百句燦々」の、作品を句集に纏めないままの俳人、一冊だけの句集を出したてそれきりの普段目にできない人など、これでしか読めないものが多く俳句という長い伝統の数多の有名句、百句集の中へ己の美意識だけで切り込む塚本邦雄には今さらながら驚きと畏敬を感じる。

 いま/俺を/優しく殺す//雪の樅(若山幸央 「濁青」)

この雪の樅はあるいは塚本邦雄なのかもしれない。
□  1119
 恋了へて冷えゆくいのちうつし世の延滞料はまだ足りぬとや
                       (題詠2014:12 延)

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週末ごとに雪や残雪や雨やでちっとも山が歩けない。部屋で本ばかり相手にしているとどこか弱ってきて、読みながら泣いてしまうというていたらく。余り泣くような本ではないはず…

 「八犬伝」上下 山田風太郎

NHKの新八犬伝が73年から75年、ジュサブローの人形が妖しく艶かしいと評判だったけどあたしがお子さま向けの時間に家にいる訳もなく未見で、だいたいの粗筋は小さな頃の本や父のおハナシ、覚えているのか後の記憶が判らない映画で知るのみで八犬士の名も持ってる玉の文字も全ては言えず、たぶん人形劇と講談で覚えた夫に威張られたことがあるのだった。
馬琴が半生を費やした大部の、風太郎によるリライトの「虚」と書いている馬琴を描く「実」が入り交じり、南総八犬伝の部分もふむそうだったのかと何度も膝を叩くのだが、面白いのは風太郎の作り出す「実」の部分で、特に馬琴・北斎・南北が顔を合わす芝居小屋の奈落(しかも四谷怪談初日かつ鼠小僧まで顔を出すしつらえ)などもうわくわくしてしまう。上下二冊、あっという間に夜を徹することになる。

で、思わず泣いてしまったのはその最終章、「虚実冥合」。
四谷信濃坂でつましい生活を送っている馬琴は両眼を失明する。もう物語の続きを諦めざるをえない舅に、嫁のお路が志願して口述筆記で八犬伝の長い物語を完結させることになる章。片や馬琴は物語の流れの面白さを壊してまでも、己の全知識で故事諺を使って微細に蘊蓄や説教を縷々と書き込むひと。対するお路は全く漢字を知らぬ。それまで物語はもとより読み書きそのもの縁はなく、馬琴の病弱だった長男が亡くなった後も地味な暮らしの婚家に仕えてきた女性。
そのふたりが「那時遅し這時速し、渦く潮水に波瀾逆立て、百千万の白小玉、忽焉として立升る。白気と倶に中空に、冲りて宛衆星の、烏夜に晃くに異ならず、又其許多の白小玉、亦只数万の金蓮金華と変じて赫突。」なんてえ文章を一文字一文字、口で説明しながら綴っていく。盲目のひとは形を示せず、「りっしんべん」だの「赤がふたつ」だの「那智の那」だの説明しても聞く方が判らない。
もう本筋の安房の聖戦なんてどうでも良くなりません?どうせ馬琴の「虚」は勧善懲悪の大団円を迎えるんですもの。

「縫刺の技、薪炊の事などこそかれが職分なれ、文墨風流の事に代らせて、困じながらも倦でよく勉にあらざれば、這十巻を綴り果して、局を結ぶに至らんや。」
「噫(くちへんに喜)、廬生の栄華は五十年、本(伝の旧字)作者の筆労は正に是二十八年、就か夢にあらざりける」
長い後書を書きながら(もちろん記すのはお路)馬琴は、お路は嗚咽する。読んでるあたしも貰い泣く。

風太郎が上手いのは馬琴に対してほとんど対極の生き方をした北斎を持ってくることで、この最終章にも嫁舅の口述場面をかいま見る北斎がいる。このひとも晩年までを娘お栄と送っている。
こちらは北斎と同じく絵を描いた。葛飾応為、その美人画は父も敵わなかったのだとか。

(写真は昨日開いた初クロッカス)




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