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□  1104
 飲み下す言葉はいくつ横顔の男の耳の危うきかたち
                    (題詠2014:2 飲)

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山を歩いた土曜日はずいぶん暖かかったのにまた寒さが戻って、一昨日降った雪が庭隅に残っている。周りの山肌も白く、けれども思っていたほどは降ってくれないので雪の散歩という気にもならなかった。

旅行先で群馬から来た、というとけっこう雪を心配された。
桐生は関東平野の北端で市の面積の大半を占める奥の山は白いことがままあるが、市街地の降雪は年に一、二度。冬型が緩んだ春先に湿った雪が積もるくらいで、太平洋側の東京よりその量は少ないかもしれない。
西へ旅すると、群馬は東北の一部のように思っているひとが案外いて、雪もだけれど放射性物質の飛散もずいぶん心配された。事故当初ほどではないが赤城山のワカサギは今年もセシウムが基準値を超えて、釣ってもすべてその場で回収なのだから、確かに関西のひとから見ればどっぷり汚れてしまった町なのだろう。

特に方向音痴でなくても生活圏から離れれば離れるほどその地形は曖昧になるのは当然で、大阪の山の上で 群馬は山形の下? なんて聞かれてもしかたがないのだが、思わずその方の日本地図を想像してしまった。
あたしの日本地図など両端に靄がかかっていてひとのことは笑えないくせに。

生まれた場所から動かないまま暮らすひとも多いのに九州から徐々に北上して、この町の雪を眺めている自分がやはり不思議。歳をとったせいか縁なんて言葉をすんなり口にして。
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□  1065
 風吹いて文福茶釜の綱渡り落ちても割れぬ故なき自信
                         (題詠2013:99 文)

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カテーノジジョー(家庭の事情)は今は普通に使われてるようだけどあたしが子どもの頃の流行語だった。もうきっと知っているひとの方が少ないのだろうけどトニー谷が流行らせた言葉で、真似をすると下品と叱られたけどトニーイングリッシュやこのひとが使う奇怪な言葉には妙な魅力があって一度聞くとずっと耳に残った。いわゆる毒舌というやつとも違って、もっと本質的にこの世を投げ出してるような気がして、でもひどく尖っていて、好きとは全く思わないけど常に神経にじかに触ってくるような危険な棘のあるひとだと思ってたら、息子さんが誘拐されたのをきっかけになんだか普通のひとになってしまった。芸人さんは大変なんだと子ども心にしみじみ思った。

なんてことを思い出したのは今日わが町の一番新しい部分、とは言ってももう合併して10年くらいは経つ新里を歩いたからで、桐生市はカテーノジジョーならぬオトナノジジョーで二つに分かれた形でひとつの市になっている。その離れている新しい部分は山は歩いても人の住む場所はいつも車で通過するだけで、ほとんどなじみがないまま過ごしているので一度ゆっくり歩いてみたかったのだ。
少しは知っているつもりのこちら側の桐生市だっていざ歩くと迷うのに、赤城山の麓で地形にも建物にも歴然とした目印がない離れた桐生市は予想通りに迷いに迷い長時間歩くことになってずいぶん草臥れた。

赤城南麓は昔々はけっこう暮らしやすかったのか古くて大きな古墳や史跡がたくさんあり、そういうマニアの方のブログも少しは読んで出かけたのに、そうかみなさん車で動いているので一日にいくつも回れるわけだと行った後に納得するのだから世話はない。
でもなかなか楽しかった。
写真はその中のひとつのお寺に咲いていた寒桜。背景は紅葉で、風が吹くと白と紅とが舞って綺麗だった。

今夜はトニー谷に関する本を読みながら眠ろう。
□  1051
 言の葉は梅香の如く出口ナオ絶望常に女に深し
                   (題詠2013:89 出口)

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桐生市には古刹が多くよく手入れされたそれぞれの境内は季節毎に美しい。紅葉は特に川内の崇禅寺が有名でTVの取材などもあると聞いていたがいつも時期を逸して悔しい思いをしてきた。日曜に山のHPのお仲間がきれいな写真をUPされたので、おお今年は間に合いそう、るるるんるんと早速今日歩いてきた。

開山は元久二(1205)年と伝えられ、初代の智明上人を慕って若き日の北条時頼が訪ねて来たという話も残る里山の麓のお寺で、今日はわが市はえびす講の夜祭、暗くなったらそちらへ廻るという驚くほどたくさんのアマチュアカメラマンがカメラを構え、鮮やかな赤や黄色を見上げていて、なんだか頼りなそうな婆あがそれに混じるものだから、みなさん憐憫を催されたのかとっておきのアングルやらカメラの扱いを教えていただいた。
クマ笹の中に複雑に散策路が設けてあり、長い陽射しに深紅に燃え上がる楓に囲まれる庫裡を高い場所から狙ったり、回廊に上がり込んで腹這いで光を追いかけたり、小さな池に写る紅葉と鯉のシャッターチャンスを息を潜めて待ったり、半日飽きずに遊べて楽しかった。

このお寺には投句箱があって、夫の親友俳人と後の尾根を歩いたときに投句して、一昨年の春に小さな冊子に載せていただいたことがあり、思えばあれが初めて印刷物で見た自分の俳句だったのだ。
まだあのときは毎朝作ってはいても句会に参加したり結社に入ることになるなんて考えてもいなかったのに、あれよあれよという間にすっかり俳句の世界(まあほんの入口だけではあるけど)に馴染んでいくことになろうとは、お釈迦さまでも気がつかなかったろう。
もっともここ崇禅寺の御本尊は阿弥陀如来でいらっしゃるが。
□  1046
 跛ひききのうの夢の猫が来て大きな月餅土産に貰う
                      (題詠2013:87 餅)

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男たちは恋人に自分の育った場所を見せたいものなのだろうか。
夫と出会う前にも案内されて、いくつかのその時々のそのひとの育った町を歩いたことがあるし、まだ東京で暮らしていた頃、桐生へ連れて来られて一番に行ったのも夫の通った学校や子どもの頃よく行ったという公園だった。
小学校の校庭や中学までのくねくね細い裏道、高校のぐるりや町が見下ろせる小さな山。急な坂道を一緒に登り彼が子どもの頃の話を聞き、楽しかったには違いないが旅行者の目で、まさか桐生で暮らすことになるとは思ってもいないし、ましてや彼がいなくなってひとりでここで年老いていくことになるなんて考えてもいなかった。

ネットでみつけたこの歌、こんなずんたずんたした素人っぽい曲(もちろんそれを狙ってるのだろうが)に手もなくやられて不覚にも泣いてしまう。
日本全国どの町でも初期に浄水施設が作られた山はたいてい水道山と呼ばれることになっていて、このバックの映像が夫に最初に連れてってもらったの"この"水道山ではなかったら、こんなに甘い曲にあっさり参ることはなかったのに。
ここから少し足を伸ばせば山を利用して作られた観覧車のある大きな公園もあって、もうそんな年齢は超えていたはずなのに一緒に乗り込んで他愛なく笑いあい、三十年ちょいも昔のことが幾度かこれを再生しながら、時間って何なんだろ、三日前の記憶よりずっと鮮明で生々しくて切ない。

でもあたしはどのひとも自分の思い出に絡めて育った町を案内したことはない。懐かしい道は相手の所用の暇にひとりで歩いた。あたしに限らず女ってそんなに感傷的でも追憶的でもないし、相手に理解を求めてもないんじゃなかろうか。
この歌、やはり女ではなく男の作る歌だわね。

まあ明日晴れたらたまには水道山でも歩いてみるか。
(水道山は写真の奥の山裾のもやもや霞む一番低いあたりにある)
□  1039
 身を削がれ秋の金魚はまだ泳ぐ硝子の記憶粉々にして

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なんとなく煤暈けた気分で過ごしているうちに周りの山がいい色合いになってきた。特に春、全く咲かなかった城山の桜が花の分のお詫びのようにいい赤に染まって、花が咲くのは金魚のかたち、だから桜の紅葉も上から見れば金魚のかたちであるはずだ。
この山、山茶花もたくさんあり登って行って植林が切れた途端に一面雪のようにはなびらが散っていると、それを期待してはいても思わず声を上げる。ほとんどひとの来ない隠れた山茶花の場所で、うちの早咲きの山茶花はほとんど散ってしまったが、たぶんこれからいいだろう。

夏のお祭りで金魚すくいをして、猫のいる家だからお風呂場を閉めきってポリバケツで飼っていたことがある。赤い小さな金魚は元気で秋になっても泳いでいたが、冬が近づき日中留守になると猫がお風呂の蓋の上で寝たがって、しかたがないので近くの沼に金魚を放しに行った。
金魚はいくらか大きくなって、でもすっかり色が抜けて鮒色に戻りつつあった。
もうずいぶん昔の話で、もしあの金魚が元気なら沼の主になっているはずだけど、猫も、一緒に放しに行った夫もあちらへ行ってしまったのだから、もちろん金魚だってそうなのだろう。
こちらはどんどん淋しくなる。

今月は秋のお祭り月、当然金魚すくいは出ない。
空気も澄んできたようで山並の一番奥に根本山のごつごつとした稜線がくっきり見える。
□  1003
 針を刺すわが白地図の過ぎし刻
              居館・大門・屋敷・城山


           桐生

パソコン横の桐生の白地図は少し黄ばみながらも頭の赤い待ち針は少しずつ増えていたのだが、けれどもこのふた月余り、上の写真の白点線で囲まれたこの町はご覧の通り山ばかりなのに酷暑とその後の反動の脱力感で全く山へは足が向かず、ぴたりと止まってしまった。HPももうずいぶん更新してなくて、気にはかかりながらどうすることもできない。

しかたがないのでせめてもの朝の散歩でなるべく山裾を選んで歩いている。
もっとも暮らしているのも山際なので一歩外へ出るとどちらに足を向けても山ばかり。

今は地名が味気ないものに変わり、川に沿って奥へ入っても○○町○丁目になってしまったけれど、たまにしか通らないバス通りのバス停にはまだ古い地名が残っていて、治水技術が充分ではなかった時代は渡良瀬川の堆積地はほとんどひとが住んでおらず、この幾重にも重なる山襞にいくらかの平地をみつけてたくさんの人が暮らしていた。
江戸期以前はお城も山の上で、その麓に戦国時代の名残りの地名が並び、古いお寺が点在し、まあ日本全国どこへ行ってもそうなのだろうが古いお話が残る。

あたしにはよく判らない事情で、この町はいまふたつに離れていて、右側の点線囲いの旧桐生市の山はほとんど歩いたのだが、左側、赤城山と足尾へと続く新たな市内の山はまだほとんど歩けていないのがちょっと口惜しい。

(なんて言いながら本日句会の後からしばらく旅行。よその町と小さな山を歩いてきます。)
□  976
 お喋りが尽きて始まる白い朝
              あなたが帰る場所を知らない

                     (題詠2013:45 喋)

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何日か前に煙突娘の関係者にお会いしてきた。あのときの周辺にいらした方で、もう60年余り前の記憶をなんとか掘り出してもらって、いくつか有意義なお話を聞かせてもらった。

お嬢さんがあたしと同じ歳なのだから当然80歳を越えてらして、あちこち不自由なこともあるそうだが実に元気のいい女性で、ほんとにわが町は俚諺通りに女の方が強いのかもしれないとつくづく思う。あたしの暮らすあたりもプールで会うのも少し年上の元気な未亡人が圧倒的に多くて、まあだからこそ労働争議では珍しい煙突”娘”が誕生したのだろう。
争議そのものよりその頃、あるいは戦争を挟んだ前後の暮らしの話をお聞きするのも面白かった。活気のある本町通りやお祭りの賑わい、若いひとの陽気な遊び、この町もご本人も一番いい時代だったのかもしれない。

ちょうど読んでいた島尾敏雄の日記が敗戦からこのあたりの年代にかけて、まだ東京に出る前、神戸の父親のもとで半分脛をかじる生活で、ときどきミホさんのこじれの影はあっても長い旅をしたりし文学仲間と付き合ったり、けっこう気ままにトシオさんは暮らしている。
2円切手などというものがあり、りんごは10個で100円ほど、卵は現在とそんなに違わず10個120円という記述がある。翌々年から住む小岩の小さな家が家屋だけで15万円、これを父親に出してもらうのだからトシオさんは結婚していても苦労のないお坊ちゃんでもあったわけだ。

後の惨憺たる修羅場を思うと、特にあたしが住む町に限らずどこでも基本的に女は強いのかもしれない。
□  953
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この町には四本の鉄道が入っていて車に乗れないあたしは町から出るときは鉄道頼り。たいていは東武線で浅草へ出るのだがたまにJRを使って前橋や足利へ出る。

先日JRの駅でわたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車を見かけた。初見。
かつては足尾銅山と結んで貨物を運んでいた足尾線が第三セクターに移行され、渡良瀬川と両側に迫る山襞を縫って走るわ鉄は新緑や紅葉の時期はなかなか人気がある。特にトロッコ列車はシーズンの休日は満員になると聞いていた。

見馴れないものはなんでも撮っておくのでこの列車が入って来たとき嬉しくて駆け寄れば、周りにはカメラを構えたひとがたくさんいて、鉄道写真の人気者でもあるらしい。この形以前の方が良かった、もっと前の牽引車が良かった、なんて声を聞きながらちゃちいデジカメで一人前にあちこちパチパチと。つい最近導入されたものなのだとか。
この日はわ鐵に乗る予定ではなかったのについ乗りたくなってしまう。鉄道はいつも誘惑者で、おとなになる前は反対方向の列車にふらふらと乗り込んだ覚えもあるが、だんだん分別たらいうものもできるわけで今回は見るだけ。

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銅の色をイメージした鮮やかなオレンジ色と蜜柑色が可愛いし跳ねてる兎もなかなかチャーミングで、でも愛称 あかがね はともかくワッシーくんはなんとかならんのかとも思う。
トロッコ列車といっても思ったより吹きさらしではなく雨にも大丈夫そう。今はもう緑濃い季節でしかも梅雨時だけれど乗客も多そうだった。善哉、善哉

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右は通常運行の列車。日常とは常に地味である。
(って、この頃何のブログかわかんなくなっちゃったわ。歌ができないときは黙ってればいいのに あたし)




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