
題詠の次のお題が”栗”で、栗鼠と栗田ひろみの前歯とおでこしか思い浮かばずいまひとつ。そんなときはまず歩こうってんで、あの山火事の跡も気になるし、下から見上げるすぐ近くの山肌のなんともいえない緑の重なりと派手やかに混じる山躑躅の近年稀なる豪華さも気になる。
とはいえ歯医者の日だったので既に昼過ぎ。一番手軽なルートからほんの少し稜線を辿ってみた。
今年は花のあたりなのか、あたしの目が花を求めているのか、斜面は躑躅が咲き乱れいくらか高くなるとあっけらかんとした山躑躅の色に、少し哀愁を含む紫がかった三葉躑躅も混じって、ふわふわ白いのは青梻、タモってこんな字なんですね、葉脈の美しい緑に映える胡麻木の花、山吹の黄は鮮やか過ぎ、足元には稚児百合や相変わらず見分けられない菫は途切れずに、ひときわ目をひく白い碇草の群生。思えばずいぶん花の名を呼べるようになったものだ。
雨降山の頂上直下は驚くほど山躑躅が増えていて、まだ蕾が多いけれど一斉に開いたら修羅場の如く紅と朱が視界を覆うんではあるまいか。
植林帯を透かせて右に見えるのは昨年の火事跡で、すっかり伐採されてむき出しになった山土が季節を知らない色で広がって、来年はこの色があちらにもこちらにも増えるのだろう。
木々の間を縫う山道を辿り、隣のピークを過ぎて下りにかかれば倒木が道を塞いで、これは早春の大雪のためかしら。中に入れば山は年々変化している。
下りきる直前大きな栗の木があって、まだ柔らかな白の勝った葉を揺らし、桃栗三年、栗の成長は早いそうですぐ大木になるのだとか。この山域、ブナ科の樹木が多くて秋には団栗がたくさん落ちる。おお、団栗も天津甘栗も使えるではないか、歩くもんだわと喜んでいたら倒木を避けてぐるっと回る踏み跡になにやら動物の足跡を認め、うあこれは蹄ではない、しかもまだついたばかり、もしかして火に追われてきたのかしら。
慌てて天津甘栗の歌をでっち上げ、調子っぱずれなんか気にしてられない。あたしにしては思い切った大声で、天津甘栗が終ればモンブランに栗きんとん、マロングラッセの歌と次々にでたらめを歌いながら雨降山まで戻ったのだった。
短歌なんかひとつもできない。ほんとに臆病で嫌になる。